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初めての高野山 続きです。
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◆ 奥の院

高野山の信仰の中心であり、弘法大師が入定(にゅうじょう・永遠の瞑想に入ること)を されている聖地です。一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、おおよそ20万基を超える戦国武将(の6割)の墓所をはじめ企業の供養塔や阪神大震災の慰霊碑の数々が樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいます。
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SN3S0018.jpg一の橋・奥の院の入り口

SN3S0019.jpg卒塔婆形町石
壇上伽藍でいったん一になった町石ですが、壇上伽藍からか奥之院に至る参詣道に別の36基があります

SN3S0020_20171020084127c28.jpg信州松本水野家(他に2か所)

松本にはよく行くのでなんとなく親しみを感じて

SN3S0021.jpg武田信玄

SN3S0022l.jpg石田三成

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織田信長、明智光秀、石田三成、伊達政宗、武田信玄・勝頼、上杉謙信、真田家などの戦国武将から始まって、豊臣家、徳川家、大名たちまで呉越同舟で、深山幽谷の趣の中苔むした墓石の林立はなんとも言えない雰囲気・・・
ほんとうのお墓ではなく、いわゆる供養塔なのでしょうが、なぜこんなに?という疑問がわくのが自然なところ。
宗派関係なく(密教とは限らず)もう大師信仰なのでしょうね。
徳川が特に奨励したという話もあります。
弘法大師のそばに眠れば必ず浄土へと導かれるという信仰です。

当然のことながら奥の院(=弘法大師)に近いほど価値が高い・・・。

信長の墓は江戸時代の絵図では中ほどにあったのが、いつの間にか(誰かが寄進したのでしょうが)御廟近くに移転していたそうです((『「敵将」信長の墓、なぜ一等地に 子孫が移す? 高野山』

かと思えばふぐの慰霊碑や企業の供養塔など現代のものも。(真新しい○〇家の墓も)
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SN3S0027_20171020091154daa.jpgロケットやらコーヒーカップやらなんでもありのモニュメント


これらの奥に燈籠堂、その奥に弘法大師が今も生きて祈り続けているという御廟があります。
ま、信仰ですからとやかくは言いますまい。
今も1日2回お食事も運んでいます。(スパゲティなども召し上がるそうです)

四国お遍路のお礼参り(結願)に来られているらしき方もお見掛けしました。


◆ 金剛峯寺
高野山真言宗3600カ寺の総本山
ただし明治時代に清巌寺と隣接の興山寺を統合して命名。
本堂は壇上伽藍の金堂。

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SN3S0054.jpg大主殿

東西60m、南北70m


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◆ 女人堂

その昔、高野山には七つの登り口があり、高野七口(こうやななくち)と呼ばれていました。
明治5年(1872年)に女人禁制が解かれるまで、女性の立ち入りが厳しく制限され、そのため各登り口に女性のための参籠所が設けられ、女人堂と呼ばれました。
この女人堂は唯一現存する建物。
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SN3S0047_20171020152116538.jpg不動坂口



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最終更新日2017-10-20
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