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読みたい本

日曜日の新聞の読書面を楽しみにしている。
いそいそと新聞を広げ…今日は読みたい本があり過ぎて、うれしい悲鳴。
何もない時もあるのよ。

どの本もちょっとお高いので、おいそれと買えない。
図書館 あるいは マーケットプレイスに出てくるまでしばしの我慢。
忘れないように書いておこう。

健康不安と過剰医療の時代

■「何かおかしい」と思う人に

評・田中優子(法政大学教授・近世比較文化)

 現代は江戸時代より「進化」していると言われる。進化のシンボルが科学技術の発展である。確かに江戸時代までは高度医療も保険制度もなく薬は高かった。であるから病気にならないことが重要で、「養生」が生活の上で大切な役目を果たしていた。

 一方、今の日本では薬は満腹になるほど出してくれるし、レントゲンやCTは無制限に撮ってくれる。が、何かおかしいと常々思っていた。薬の処方や治療は最後の手段だろう。不安感だけで治療する必要はあるのだろうか? 本書はその疑問に答えてくれた。ずばり「健康不安」と「過剰医療」を暴いている。

 日本で癌(がん)にかかる人の三・二%は放射線による診断被曝(ひばく)が原因と推定され、検査回数も調査した十五カ国平均の一・八倍である。必要とされない多くの事例でCTが安易に使われているからだという。血圧が高い人に処方される降圧剤も、実は脳梗塞(こうそく)につながりやすい。コレステロールの薬も骨粗鬆症(こつそしょうしょう)の薬も不要な場合が多く、副作用をともなう。バリウムによる胃の検査が本当に安全かどうかは分かっていない。うつ病という診断結果の急激な増加は、向精神薬の解禁と連動している。さらに、病気でない人にお金を使わせるには「健康不安」という武器がある。「メタボ」はじめありとあらゆるものに警告が発せられ、健康商品が大量に消費されている。本来は「ストレスに強い」ことを強要する社会の問題であるにもかかわらず、それは問題としないで医療に金を使わせる構造になっているのだ。本書は、そのような多くの事例が語られている。

 本書には賛同する人もしない人もいるだろう。しかし、頭の片隅で「何かおかしい」と思っている人は多いのではないか。医療の過剰を問題化してゆく必要性が高まっているというのが、この本の編集意図だ。ようやくそういう時が来た。


高齢化社会で、年金はどうなる、医療費はどうなると喧しいのに、一方でつまらない延命治療の技術の開発が進んでいるのはおかしくはないか、これはずっと私が思ってきた疑問だった。
無駄な医療費は、それでも医薬品業界を潤し、税収をあげ、公務員の天下り先も増やす。
親の高額な年金が欲しくて、とにかく生かしておいてくれという家族もあると聞く。

医療の過剰を問題化してゆく必要性が高まっているというのが、この本の編集意図だ。ようやくそういう時が来た。
これは本書の評者・田中優子さんの言葉なのだが、大きく首肯する。
ようやくそういう時が来たのならうれしい。

余談になるが、この田中優子さんの書評はいつも共感できて、心待ちにしている。
書評を担当する本は、ご自分で選ばれるのだろうか、与えられるのだろうか。
先週はこれだった:股間若衆: 男の裸は芸術か 
股間若衆=こかんわかしゅう≒こきんわかしゅう=古今和歌集
東大教授のお作らしいのだけど、これも面白そうでしょ?


若者の気分 少年犯罪〈減少〉のパラドクス

■統計を検討 情緒的議論と決別

評・川端裕人(作家)

 20世紀最後の数年、少年による凶悪犯罪が散発し「少年犯罪の増加!」と騒ぎになった。しかし長い目でみて減少傾向が明らかと分かると、世の論は少年犯罪の凶悪化、再犯の増加を問題にする方向に横滑りしていった。今ではどれも現実にそぐわないと分かっているが、2010年の内閣府調査では75%もの回答者が「重大な少年犯罪が増えている」とした。

 著者は丁寧に統計を検討し、誤解を解きほぐす。更に諸外国では犯罪増に直結する失業率が日本でも高まっているのに、少年犯罪が最低レベルであることにパラドックスを見いだす。このような視点は従来の論を見聞きしてきた者には意外だろう。しかし事実だ。むしろ、本書の真骨頂は「パラドックス」に社会学的分析を試みる点である。

 キーワードは「宿命主義的人生観の広がり」「人間関係の自由化」など。前者は現状を素直すぎるほど受け入れる態度。後者は、社会があまりに自由になったため、むしろ仲間との絆を求め、空気を読んで自分が浮かないようにする態度につながる。「私(個性)探し」から「友だち探し」へ。ちなみに凶悪犯罪がかつて究極の個性だったことは、神戸連続児童殺傷事件(1997年)に続いた少年事件の聞き取りから分かる。しかしこんな極端な個性はもう誰も欲しくない。少年犯罪は減少し、90年代の特異な事件の再来も抑制される……。

 社会学に暗い評者には判じがたい部分もある。また描かれた若者像を固定的に捉(とら)えるのは危険だろう。検証し先に進むには、社会と犯罪の分野で因果関係の解明を目指す社会疫学、犯罪疫学を視野に収めるべきだとも感じた。

 いずれにしても安易な若者叩(たた)き言説と距離を取り「今」と真摯(しんし)に向き合う議論をさりげなく実現している点がよい。私たちの社会に跋扈(ばっこ)してきた情緒的若者論との決別のきっかけとなることを期待する。


私自身も「重大な少年犯罪が増えている」となんとなく思っていた。
我が家にティーンエイジャーが居なくなって数年たち、少年犯罪に対するアンテナはずいぶん感度が悪くなっているとは思うが。
認識を改めたい。


今和次郎「日本の民家」再訪

■変哲もなく残る大正の家々

評・山形浩生(評論家)

 今(こん)和次郎の名著『日本の民家』は、大正期の何の変哲もない民家の記録分析として今でも実におもしろい。本書はそこに登場する民家を再訪し、その変化を記述したものだ。

 こんな本が成立すること自体が驚きだ。この九〇年を経て、かなりの家がまだ残っている! むろん消えたものも多く、残った場合でも昔通りではない。だが、その変化こそ本書の注目点でもある。

 変化の理由はおなじみのものだ。都市化、経済基盤変化、道路拡幅……。元の本での今(こん)の注目点は、それぞれの民家が持つ自然や経済の環境に対する合理性だった。本書の分析は、周辺の変化と家の変化の関わりを細かく捕らえ、今和次郎の合理的な読みを現在にまで延長するものとなっている。

 元が雑誌連載のせいか、文章は時に蛇足めいた文学的な都会人の田舎幻想や内輪の些末(さまつ)な雑記に流れる。だが事実関係の記述は明快だし、限られた資料から家を探し出すいささか冗長な探索プロセスにも時代の変化の記述が散在している。そうこうするうちに、そこから今和次郎の行動原理まで抽出しおおせているのは感心させられる。

 しかし……本書に掲載された現存する「民家」の写真は、本当に何の変哲もないのがショックではある。今(こん)のスケッチを見ると、それぞれの民家は実に豊穣(ほうじょう)で美しく見える。が、実際はそこらの地方家屋で、多くの人は前を通っても記録する価値があるとさえ思うまい。

 今(こん)とてその個別の家自体の価値よりは、その地域の生活と様式の表現としてそれぞれの民家を見ている。だが、これらの家は当時もこのように何の変哲もなく、今(こん)の慧眼(けいがん)だけがその意義を見抜けたのか、あるいは当時は変哲があったのに、物理的には同じでも、時代の変化とともにそれが消えたのか。そうした見る側の視線の変化についても、本書は考えさせてくれる。


恥ずかしながら浅学で、今(こん)和次郎の名著『日本の民家』をまず知らなかった。
特に何てことない民家を記録していたもののようだが、その特に何てことない民家が90年たってまだ存在することに気づいたときの驚きをつきつめようとされたのだろう、著者は。
間に敗戦があり、社会の価値観はずいぶん変わったのにと思うと感慨深い。
本書を見てみたくなる由縁である。


他に
脳はすすんでだまされたがる マジックが解き明かす錯覚の不思議
昭和史を陰で動かした男: 忘れられたアジテーター・五百木飄亭 (新潮選書)
城砦

豊作でしょ?



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