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智積院で等伯を観る

mini_111109_1217.jpg松林図屏風」(本です)を読んでから特に気になる存在の長谷川等伯。
(狩野派があまり好きではないので勝手に贔屓w)

京都国立博物館↓へ行ったついでに徒歩2分の智積院に寄り道してきました。
智積院には長谷川等伯一門 国宝障壁画があるのです。
どうしてこれまで智積院に寄り道することを思いつかなかったのか不思議(・・;)

松林図屏風」でも重要な位置を占めている、等伯の息子久蔵の25歳の時の作 桜図(その後26歳で急死)と、それに刺激を受けた等伯自身の楓図
(たまたま狩野派のボス永徳が亡くなった混乱も手伝って)狩野派に打ち勝って、秀吉が3歳で亡くなった最初の男児、鶴松の菩提を弔うために築いた祥雲禅寺の内装の仕事を請け負うことができたのは等伯に取って大きな意味がありました。その後、豊臣家を滅ぼした家康は、祥雲禅寺をそっくり秀吉に滅ぼされた根来寺智積院に寄進、結果障壁画も智積院に伝わることに…。
あまりに有名な絵ですけれど、4度の火災で痛みが激しく(持ち出すために切ったり、煤がついたり)、往年の輝きを思い描くにはかなり想像力が要ります。
この桜図の桜の花びらは貝殻を砕いて作った「胡粉」を塗り重ねて立体的に描いたもので、当時でも大変難しい技法なのだそう。当時照明が明るかったわけではないので、薄暗い中貝殻のパールカラーが光って爛漫の桜がそれはそれは見事だっただろうと思います!暗闇に桜の花が浮かび上がる「夜桜」に変化。
構図や描き方など、お父さんの楓の方がそれは立派ですけれど、そこだけは息子の勝ち!
なんにせよ等伯一門の最高傑作であり、桃山文化の象徴であることは間違いありません。
他に等伯一門の描いた「松と葵の図」「松に秋草図」なども国宝に指定されています。

大書院にはこの障壁画のレプリカがあります。
今残っているサイズのレプリカなのですが、往時はもっと高く、もっと大きかったのだろうと思います。
まあ、多少けばけばしく思いますけど、黄金の茶室を作った秀吉の好みですものねぇ。
mini_111109_1250.jpgmini_111109_12500001.jpg

大書院の庭は名勝、祥雲禅寺の庭園を江戸時代初期に修築。
右の写真、石橋より右が祥雲禅寺の庭園。池泉観賞式庭園で、利休好みといわれる。
左は江戸期の石と植物を交互に配置。池が書院の下まで伸びた珍しいもの。
mini_111109_12450001.jpgmini_111109_1249.jpg
サツキの開花時期が一段と美しいそうです。


mini_111109_1254.jpg紅葉はまだまだ…

mini_111109_1220.jpg冠木門

mini_111109_1221.jpg金堂



真言宗智山派 総本山智積院(ちしゃくいん)
京都市東山区東大路通り七条下る東瓦町964番地
075-541-5361
拝観時間 9:00〜16:00(収蔵庫及び名勝庭園のみ)
拝観料 500円(収蔵庫及び名勝庭園のみ)




余談
こちらは"真言宗智山派総本山"
よく知っている真言宗のお寺は東寺(教王護国寺)
どう違うのだろう…
空海が、街中の道場として開いたのが東寺、山中の修験場として開いたのが高野山金剛峯寺だと理解していたのだけれど、その高野山金剛峯寺によると、真言宗は日本の仏教宗派の中で最も多く分裂派生しているそうで、現在では主要な門派が18に大別され、「真言宗十八本山(ほんざん)」と呼ばれているそうです。
真剣に仏教に取り組むからこその考え方の違いと取ることもできるし、空海以降傑出したリーダーに恵まれなかったせいでもあるのかもしれませんね。


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Last Modified : -0001-11-30

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